史跡永福寺跡(鎌倉市二階堂)

史跡永福寺跡(鎌倉市二階堂)

頼朝が鎌倉に建立した三大寺社(他に鶴岡八幡宮、勝長寿院)の一つ。

『吾妻鏡』文治五年(一一八九)一二月九日条。「今日永福寺事始也、於奥州、令覧泰衡管領之精舎、被企當寺花構之懇府、且宥数万之怨霊、且為救三有之苦果也、抑彼梵閣等、並宇之中、 有二階大堂〔号大長寿院〕専依被模之、別号二階堂歟、」。

 頼朝は奥州合戦の際に、奥州藤原氏が建立した大長寿院という二階建ての大きな御寺を見ていた。そして奥州藤原氏を滅ぼした後、 合戦で亡くなった人々の怨霊を宥めるために、大長寿院と同じような寺院を鎌倉に建立しようと考えた。

 永福寺は事始から三年後の建久三年(一一九二)一一月二五日に完成供養が行われたが、その後も伽藍は造営され続け、建久五年(一一九四)一二月二六日に薬師堂の完成供養を以って完成した。

 奥州合戦を決断した頼朝。奥州で目の当たりにした光景。全てを背負う宿命。永福寺建立には彼にしかわからない何かが込められている事を願う。