北条時宗のキラリ 北条氏常盤亭跡

北条時宗のキラリ 北条氏常盤亭跡

鎌倉駅から西へ、トンネルを3つ越えると右手にあらわれる草の広場。ここは北条政村(義時5男)の別邸常盤亭跡だとされている。

弘長三年(1263年)。北条時宗の父、時頼卒去。

翌年、時宗は14歳で幕府No.2の連署に就任。この時、執権になったのが北条政村おじさん(60歳。当時だとおじいさんか?!)。

おじいさん政村👴🏻は青年時宗👦🏻を支えた。時宗が成長するとその座を譲り、文永五年(1268年)執権時宗、連署政村が誕生(連署→執権→連署の移動は、後にも先にも政村だけ)。この年齢差(46歳差)‼️で蒙古の脅威という国難に立ち向かう。

青年はこの献身的なおじいさんのサポートで、大人となった。

文永十年(1273年)、おじいさま(政村)永眠。。。京都の公家はその知らせを受け、「東方の遺老なり、惜しむべし、惜しむべし。。。」と書き残す🥲

北条氏常盤亭は政村がかつて将軍や時頼を招いたり、和歌会を開いた場所。時宗は教養を備えた政村から政治のイロハを教わり、若きリーダーとして羽ばたく🕊