大御堂橋を渡ってすぐにあります。
文覚は京都の神護寺や東寺の復興を行った僧。
後白河ー文覚ー源頼朝の関わりは、1180年から90年代の時代に躍動感を与えていると思う。
近くには、かつて頼朝が父の菩提を弔うために建てた一大伽藍「勝長寿院」(大御堂)がありました。
勝長寿院の別当(長官)は、文覚の弟子、千覚が務め、頼朝の護持僧という役割を果たしています。後に神護寺に帰り、高雄の地で示寂しました。
大御堂ケ谷と呼ばれる一帯では、平安時代末期の平安京と鎌倉を舞台にした歴史を垣間見る事ができます。