香川県の平家にまつわるヒストリー
香川県観音寺市大原野町の有木地区には、壇ノ浦の戦いで敗れた平有盛(たいらのありもり)一行に関する伝説が残っている。
観音寺市街から南へ県道8号を進むと山に入りダムが見える。その先に『有盛橋』という赤い橋があり、そこが香川県の平家にまつわるヒストリーの入口✅
橋を渡り進むと『史跡有盛路』という石碑が👀
一本道の山道が先を誘う。
]すると集落が見え、その上に御堂と神社が姿をあらわす。これが平有盛ゆかりの『有木の阿弥陀堂』🙌御堂の中には有盛が持っていたとされる阿弥陀如来坐像、名剣小烏丸の箱(太刀は無くなったらしい)、陣太鼓などの品々が今も大切に残されているという。
付近の地名に館屋敷、お宝屋敷、上屋敷、中屋敷、下屋敷、烏帽子屋敷・・・平家にまつわると思わせる。
橋を渡りそう大きくない空間に残る平家の落人伝説と集落🏘️歴史の荒波は平家一門をのみこんだ。しかし滅亡という言葉で片付けてはいけない大事な光💡が、今もなお生き続けている🦋ような気がした🤲
ちなみに観音寺市観光協会主催で10月27日(日)に「平家落人の郷 有木を歩く」というイベントが企画されているもよう。ご興味あるかたは観音寺市観光協会に電話📞確認してみてください^ ^
※平有盛について。平重盛の子。寿永元年(1182)、左近衛少将。一ノ谷の合戦では、兄資盛、弟師盛ととともに三草山を守備。しかし源義経の攻撃で敗れ屋島へ逃れる。壇ノ浦の戦いで兄資盛、従弟の行盛とともに入水したという。