2日にわたる消息経(故人の自筆書状をつかって書いたお経)からの供養エピソード
これは9/30仕事帰りに月Iお習字教室で、筆で書く日本文化の素晴らしさを知るがゆえに、書く・触れる機会の減少で、衰退と消滅を課題に思う講師との会話から。僕も共感を覚え😆自分なりに一考🤔歴史や文化の価値は、歴史や文化を超越した『当時の社会や人の魂』があり、それが歴史・文化の価値の根源になっていると思う。特に書はダイレクトにそれがわかるもの。そういう『当時の社会や人の魂』も加われば良いね😊という角度からエピソードを1つ☝🏻
さて九条兼実(当時トップクラスの貴族)(玉葉という日記を残してくれた。当時の社会を今に伝えている)。
◯原文(漢文なので飛ばしちゃってください)
『玉葉』文治元年八月二十三日条
「(前略)又書写黄紙、同清浄経二部〈一部奉為先妣、余漉反古色紙送之、一部近年合戦之間死亡候輩、奉始先帝至于大官等為出離也》、送東大寺、被奉籠大仏御身也」
◯日にちは平家が壇ノ浦で敗れた約五ヶ月後の記事📖
ここで九条兼実は消息を漉き返した色紙で書いたお経を一部。それとは別に書いた一部『こちらは壇ノ浦で亡くなった安徳天皇と平家の公達を供養するためにお経を書いたもの』。この二部を再建中の東大寺大仏の胎内に籠めたてまつると述べている。
大仏さまの御身の中には、安徳天皇と平家一門を供養する九条兼実のお経がおさめられていた。頼朝は完成供養の際、何を思った🤔松永久秀〜兵火で焼けなければ胎内には⁉️とか脳裏に高速スライド✈️いやそれよりも波の下にも届いて、、、だ。
つまり東大寺大仏という文化遺産が帯びる役割、玉葉が伝える社会、消息を漉き返した紙に故人を偲びお経を書く気持ち、これらの歴史・文化を超越した『当時の社会や人の魂』が、日本文化の素晴らしさの根源にあるように思う。少なくとも上記の3つは書つながりでそれを語っている⁈
と、僕なりの書の捉え方から、今の僕が関心を持つテーマと重ねあわせて考えてみた😉
〈考えた結果〉
レキシノワの活動を通して、気軽に楽しく触れられるキッカケを生み出せたらと思う^ ^座学でストーリー+フィールドワークで文化財や史跡+カフェでリラックスしながら街と遊ぶ🌇