待ち構えのは安徳天皇擁する🦋平家一門。泳ぎが達者な平宗盛、知勇兼備な平知盛、歴戦のつわもの平教盛らと、平家の誇る水軍🚤🚤🚤たち。
鎌倉幕府はこうした歴史とともに出来上がっていく。
画像は義経も通った満珠島・干珠島(まんじゅしま・かんじゅしま)。壇ノ浦奥津付近ヵから昨年📸
元暦二年(1185)三月二十二日。義経は三浦義澄を「大嶋津」で合流した。そして「汝は門司関をすでに見ているものだ」と述べ、義澄の案内で西へ進む。平家の陣まで三十余町という壇ノ浦奥津あたりまで来た。この報告を聞いた平家は彦島を出発、赤間関を越え田ノ浦に進んだ。
下関観光協会のパンフ『源平の息吹が宿る下関ー栄枯盛衰の軌跡ー』に加筆
2日後、両軍は赤間関・壇ノ浦海上で相逢い、決戦の火蓋はきって落とされる。
『吾妻鏡』元暦二年(1185) 三月二十二日条。「廷尉促数十艘兵船、差壇浦解纜云々、自昨日聚乗船廻計云々、三浦介義澄聞此事、参会于當國大嶋津、廷尉曰、汝已見門司関者也、今可謂案内者、然者可先登者、義澄受命、進到于壇浦奥津邊〔去平家陣卅余町也〕、于時平家聞之、棹船出彦嶋、過赤間関在田之浦云々」